友達のインスタを見ていたら、なんだかモヤッとした。
別に嫌いなわけじゃないし、素直におめでとうって思いたい。でも、気づいたらスマホを閉じて、しばらくぼーっとしていた——そんな経験、ありませんか?
「また比べてる、いやだな」と思いながらも、気がついたら誰かと自分を見比べてしまう。それがしんどいとわかっていても、やめられない。
この記事では、そんな「比較グセ」とどう付き合っていくか、ことねなりに考えたことをお話しします。完全になくすための方法ではなく、少し楽に生きるためのヒントとして読んでもらえたら嬉しいです。
誰かを見るたびに、なんとなく自分と比べてしまう
SNSを開くと始まる、無意識の採点
朝起きてスマホを開くと、タイムラインに流れてくるのは誰かの旅行写真、誰かの昇進報告、誰かの素敵な食卓。
最初は「いいな〜」くらいの気持ちで見ているのに、気がつけばどこかで採点が始まっている。「あの人はもう海外旅行に行けてる、自分は去年から全然余裕がない」「同い年なのに仕事でこんなに活躍してる、自分は何をしているんだろう」。
別に相手が悪いわけじゃない。悪意もない。でも、比較はいつのまにか自動的に始まっているんですよね。
「また比べてる…」と気づいた瞬間の自己嫌悪
比べてしまうこと自体もしんどいけど、もっとしんどいのが「また比べてしまった」と気づいた後の自己嫌悪かもしれません。
「こんなことで落ち込む自分が情けない」「嫉妬している自分が嫌だ」——。
比べることへの嫌悪感が、さらに自分を責める材料になる。ため息が出るような、この二重の苦しさ、ことねにも覚えがあります。
そもそも、なぜ人は比べてしまうのか
比べるのは「本能」だという話
実は、他人と自分を比較することは、心理学的にも「人間の本能」として説明されています。
心理学者のレオン・フェスティンガーが唱えた「社会的比較理論」によると、人は自分の能力や状態を確認するために、無意識のうちに他者と自分を比べようとする傾向があるそうです。これはもともと、集団の中で自分の立ち位置を把握し、生き延びるために必要だった行動の名残、とも言われています。
つまり、比べてしまうこと自体は「欠陥」ではない。もともとそういうふうにできている部分がある、ということなんですよね。
自己肯定感の低さと比較癖のつながり
とはいえ、同じ場面を見ても、すぐに落ち込む人とそうでもない人がいるのも事実。
その差のひとつが、自己肯定感と言われています。自分への評価が揺らいでいるときほど、外の基準で確認したくなる。「あの人より上か下か」で、ようやく少し安心できる——そういう心のメカニズムが働きやすくなるようです。
正直、自己肯定感って、上げようと思って簡単に上がるものじゃない。それに、自己肯定感が高い人でも、比べることはありますし。なので、「自己肯定感を高めましょう」という解決策を聞いても、「それができれば苦労しない…」とため息をついてしまう気持ち、よくわかります。
SNSが加速させた、比較の連鎖
以前なら、自分と比べる相手は「身近な人」が中心でした。職場の同僚とか、近所の知り合いとか。でも今は、スマホひとつで何百、何千という人の「うまくいっている場面」が目に入ってくる。
しかも、SNSに流れてくるのは基本的にハイライトです。旅行の楽しそうな写真は流れてくるけど、そこに至るまでの疲労や、旅行後の仕事の山は見えない。見えないものと、自分のリアルを比べてしまっていることに気づかないまま落ち込んでしまう、というのが現代の比較の難しさだと思います。
「やめよう」と思っても、やめられない理由
決意だけではなくならないクセの正体
「もう比べるのをやめよう」と決意して、それでやめられたら、こんなに悩まないですよね。
比較グセが「決意」でなくならない理由のひとつは、それが意識的な行動ではなく、かなり自動的な反応だから。誰かのSNSを見て、瞬時にモヤッとする、あの感覚。あれは「比べよう」と思って比べているわけじゃない。脳がもう、勝手に動いている。
だから「やめよう」という意志の力だけで戦うのはとても消耗する。「やめられない自分がまた情けない」という追い打ちまでついてくる。
比べることで、一時的に安心できている
もうひとつ、比較がなかなかやめられない理由があります。
それは、比べることで一時的に安心感や刺激を得ていることがある、ということ。「あの人よりはまだマシか」とほっとする、「あの人みたいになりたい」という燃料になる——そういう側面も、実はあるんですよね。
完全に悪いわけじゃない。でも、その「一時的な安心」のために、何度も繰り返してしまうところが、クセとして定着していくのかもしれません。
ことねが気づいた「比べる自分との付き合い方」
なくそうとするより、気づくことから始める 🌿
「比較グセをなくしたい」という言葉をよく聞くのですが、ことねは最近、少し考え方が変わってきました。
なくすより、気づくほうが現実的で、むしろ効果があると思うようになったんです。
比べてしまったとき、「また比べてる、ダメだ」じゃなくて、「あ、比べてるな」とだけ気づく。責めない。ただ、見つける。
これだけで、気持ちのゆとりが少し変わります。自分を責める二重のしんどさが、減っていく感じがあります。
「比べている自分」をそっと観察してみる
「あの人と比べてモヤッとした」と気づいたとき、少し立ち止まって「何に対してモヤッとしたんだろう」と観察してみるのも面白いです。
たとえば、友達のキャリアに対してモヤッとしたなら、「もしかして自分も仕事でもっと何か動きたいと思っているのかも」という気持ちが隠れていることがある。誰かの旅行写真に対してモヤッとしたなら、「自分もどこかに行きたいと思っているのかも」。
比較のモヤモヤは、自分の「本音」のサインになることがあるんですよね。やめたい癖が、実は自分理解のヒントになるって、ちょっと面白くないですか?
今日からできる、ちいさなひとつのこと
「比べる対象」を変えてみる ✏️
もし比較をするなら、相手を変えてみるのもひとつの方法です。
他人と比べるのではなく、「1ヶ月前の自分」「半年前の自分」と比べてみる。仕事がうまくいかないと感じているときでも、少し前の自分より「ここは変わったな」「これはできるようになったな」という点が、必ずどこかにあるはずです。
他人との比較は終わりがない。でも、自分との比較は、小さな成長を確認するための道具になる。
自分の「ものさし」をひとつ決めておく
比較グセが苦しい根っこのひとつに、「何が正解かわからない」という感覚があると思います。収入、生き方、キャリア、家族のかたち——正解が決まっていないから、他人を見て「あれが正解なのかも」と揺れてしまう。
だから、たとえ小さくていいので、自分なりの「これがあれば今日は十分」というものさしを、ひとつだけ持っておく。
「今日、誰かと笑えたならよし」でも、「自分のペースで仕事ができたならよし」でも。他人のものさしに乗っかる前に、自分のものさしを置いておく、というイメージです。
完璧なものさしじゃなくていい。ぼんやりしていてもいい。ただ、何かひとつ持っておくだけで、流されにくくなると思います。
比べる自分を、嫌いにならなくていい 🌸
比較癖はあなたが「もっとよくなりたい」証拠
ここまで読んでくれたあなたに、最後に言いたいことがあります。
比べてしまうのは、弱さじゃない。むしろ、「もっとよくなりたい」「もっと充実した暮らしをしたい」という気持ちの裏返しなんだと、ことねは思っています。
何も気にしていない人は、比べることも少ない。比べてしまうのは、それだけ真剣に自分の人生を考えている、ということでもある。
完全にやめなくても、少し軽くなれれば十分
比較グセを「なくす」のは、たぶんとても難しいし、完全になくす必要もないかもしれない。
大事なのは、比べてしまっても、そこで必要以上に自分を責めないこと。「また比べてる、まあそういうこともあるよね」と、少し距離を置いて受け流せるようになること。
今日よりちょっとだけ、比較にふりまわされる時間が減ったら——それで、十分じゃないかなと思っています。
比べてしまうあなたも、ちゃんとやっているよ。その気持ち、ひとりで抱えていなくていいです。
次回は、「自分のことが好きになれない」という感覚について書こうと思います。 自己肯定感という言葉は知っているけど、どこから手をつければいいかわからない——そんなモヤモヤに、ことねなりに向き合ってみます。


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