「また自分だけ我慢した」と気づいたのは、夜遅く台所でひとりお茶を飲んでいたときのことでした。
その日も、誰かの都合に合わせて、誰かが困らないように動いた一日。自分がやりたかったことは? 自分がどう感じていたか? 考えてみると、正直よく覚えていないんですよね。気づいたら夜になっていた、という感じで。
「自分のことを後回しにしてしまう」——この悩み、あなたにも心当たりはありますか?
「また自分だけ我慢してる」——そう気づいた夜のこと
誰かのために動くのが当たり前になっていた
頼まれたら断れない。誰かが困っていたら放っておけない。自分の都合より相手の気持ちを先に考えてしまう。
これ自体は、すごく素敵なことだと思うんです。やさしさだし、気遣いだし、周りがうまく回るのはこういう人たちのおかげでもある。だけど、ずっとその役回りを引き受けていると、どこかで「私、後回しにされてるな」という感覚が静かに育ってくるんですよね。しかも、後回しにしているのが他の誰でもない、自分自身だったりして。
「これくらい平気」が積み重なっていく
「これくらいは我慢できる」「次はちゃんと自分のことをしよう」——そう思いながら今日も明日も同じことが続いていく。
一個一個は小さいんです。お昼ご飯を食べそびれたとか、読みたかった本を読む時間がなかったとか、言いたかったことを言いそびれたとか。でも、それが積み重なると、なんとなくいつも「自分の順番が来ない」という感覚になってくる。そしてある日ふと「何のために頑張ってるんだろう」と思う夜が来る。
自分を後回しにしてしまうのは、意志の弱さじゃない
日本の「和の文化」が育てた気遣い癖
心理カウンセラーの積田美也子さんは「協調性を重視する日本社会では、自分を優先することが『わがまま』とみなされる傾向がある」と指摘しています。
確かに。「人に迷惑をかけてはいけない」「場の空気を読みなさい」「我慢できることは美徳」——子どもの頃からそういうメッセージを浴び続けてきた私たちにとって、「自分のことを優先する」という発想自体が、どこか罪悪感を伴うものになっていたりする。
これは意志の問題じゃなくて、文化や環境の中でそう学んできた、ということだと思うんです。
「役に立たないと居場所がない」という無意識の恐れ
「頼んだら迷惑かな」「断ったら嫌われるかな」「ここで主張したら空気が悪くなるかな」——こういう思いの裏には、たぶん深いところに「役に立たない自分は受け入れられないんじゃないか」という恐れが潜んでいることがある。
誰かの役に立っているときは、自分の存在理由を感じられる。だから頑張る。だけどそれが続くと、自分のニーズを後回しにするのがデフォルトになっていく。これって、意志が弱いとか甘えだとかじゃなくて、自分を守るための戦略として身につけた生き方だったりするんですよね。
幼い頃に学んだ「安全な生き方」だったかもしれない 🌱
自分を後回しにする癖は、多くの場合、子どもの頃から育まれているといいます。「親の顔色を窺わないといけなかった」「我慢すれば褒めてもらえた」「自分の意見を言うと怒られた」——そんな経験が積み重なると、「自分より他の人の気持ちを優先することが正しい」という思考パターンが心に刻まれていく。
大人になっても、その「安全な生き方」が続いているだけ。悪意でやっているんじゃない。そう気づくだけで、少し自分に優しくなれる気がします。
後回しにし続けると、何が起きるのか
自分の気持ちがわからなくなっていく
これが一番こわいなと思うことなんですが——長く自分を後回しにしていると、「自分が何をしたいのか」がわからなくなってくるんです。
「何食べたい?」「休みの日、何したい?」と聞かれて、パッと答えられなくなっていたり。好きなことのはずなのに、なんとなく楽しめなくなっていたり。これは、自分の気持ちに耳を傾ける機会が少なかったことで、内側のセンサーが鈍ってきているサインかもしれない。
「私ばかり」という不満が静かに積み上がる
自分を後回しにしても、最初は「これくらいいい」と思える。だけどそれが積み重なると、「なんで私ばかり」という感情が静かに蓄積されていく。
そしてある日、些細なことでぽんと爆発したり、逆にもう何も感じなくなったりする。誰かへの不満という形で出てきたとき、「こんなことでイライラする自分がいやだ」とまた自分を責めてしまう——このループ、経験したことがある人は多いんじゃないでしょうか。
世の中でよく言われる「対処法」について
「自分を優先して」と言われても、どこかしっくりこない理由
「もっと自分を大切に」「自分を後回しにするのはやめよう」——そういう言葉はよく見かけます。
でも正直、それを読んで「よし、明日から自分優先にしよう!」ってなれる人、どれくらいいるんでしょうね。たぶん多くの人は「そうしたいけど、できないから困ってるんだよ」って思うんじゃないかな。
「自分を優先する」ことに罪悪感がある人に、「優先していいよ」と言うだけでは足りないのだと思います。まず、なぜ自分を後回しにしてしまうのか、その仕組みを少し理解することのほうが、ずっと大事な気がする。
「断り方を練習しよう」より前に必要なこと
断る練習とか、「ノー」と言う技術とか、そういう実践的なアドバイスは確かに役立つこともある。でも、そのずっと手前に「自分の気持ちを確認する」という習慣がないと、何を断って何を受け入れればいいのかさえ、よくわからなくなってくる。
まず自分の気持ちを知ること。それが全部の入り口だと、今は思っています。
ことねが気づいた、小さな転換点 💡
「自分を後回しにすることで、守っていたものがあった」
ある時気づいたんです。自分を後回しにすることで、実は何かを「守っていた」んじゃないかって。
誰かが傷つかないように。関係が壊れないように。場の空気が乱れないように。「自分を犠牲にする」という行動の裏には、自分なりの愛情や守りたいものが詰まっていた——そう思うと、今まで自分がやってきたことを少し違う目で見られる気がして。責めなくていい、と思えてきた。
だからといって「これからもずっとこのまま」でいいとは思わない。ただ、自分を責めることなく、「次は少し違うやり方を試せるかも」という余地が生まれる感じがするんです。
「今日は自分の番」という感覚を少しだけ持ってみる 🕐
「自分を優先する」って聞くと、大きな覚悟がいりそうな気がしてしまう。でも、そんなに大げさじゃなくていい。
「今日の夕ご飯、自分が食べたいものにしてみよう」「今日だけは、誰かに頼まれた用事より読みたかった記事を先に読もう」——そんな小さなことでいい。「今日は自分の番」という感覚を、ほんの少しだけ持ってみること。それが積み重なると、じわじわと変わってくるものがあると、私は感じています。
今日から試してみてほしい、たった一つのこと
自分の気持ちを「聞いてみる」だけでいい
特別なことをする必要はありません。今日、誰かに頼まれたとき、何かを決めるとき、一度だけ「私はどうしたい?」と自分に聞いてみる。
答えが出なくても、モヤっとするだけでも、それでいいんです。自分の気持ちに「聞く耳」を持つ練習は、答えを出すことより、聞こうとすることのほうが大事だと思うので。
完璧にやらなくていい、小さな自分優先でいい
「自分優先」の反対は「自己中」じゃないです。自分の気持ちを少し知ることが、結果的に相手との関係も、もう少し楽にしてくれる。
誰かのために尽くすあなたのやさしさは、本物です。だからこそ、そのやさしさを自分自身にも少し向けてほしい。自分の順番を、少しだけ後回しにしないでいてほしい——そう思います。
まとめ:「後回し」してきた自分を、まず責めないで
自分のことを後回しにしてしまうのは、意志が弱いからでも甘えでもない。長い時間をかけて学んできた「生き方」であり、誰かを大切にしたいという気持ちの裏返しでもある。
でも、その習慣が「自分が何を感じているかわからない」という状態につながっていたとしたら、少しだけ違うやり方を試す価値があるかもしれない。
大きく変わらなくていい。今日、一度だけ「私はどうしたい?」と聞いてみること——それが、ほんの小さな、でも確かな一歩になると思います。
あなたのことが、もう少し自分を大切にできるようになりますように 🌿
次回は、「何を頼まれても断れない」背景にある「罪悪感」との上手な付き合い方について書こうと思います。


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