「今日どうだった?」と聞かれたとき、なんとなく「別に普通」って答えてしまう。 本当はちょっと疲れていたのに、「大丈夫」って言ってしまう。
そういう経験、ありませんか?
自分を後回しにする、という言葉はよく聞くけれど、今日話したいのは少し違うことです。行動や時間じゃなくて、「気持ち」そのものを後回しにしてしまうという話。
自分の気持ち、いつの間にか置いてけぼりになっていませんか
「なんとなく疲れてる気がする」「でも、理由がよくわからない」 こういう感覚、ふと気づくことはありませんか。
特別つらいことがあったわけじゃない。誰かと揉めたわけでもない。それなのに、じんわりと疲れが溜まっていて、なんか心がぼんやりしている——そんな感じ。
「なんとなく疲れてる」けど、理由がわからない
疲れの原因がはっきりしていないとき、多くの人は「気にしすぎかな」「弱いのかな」と自分を責めてしまいます。でも、たぶんそうじゃない。
気持ちを長い間置き去りにしていると、心は少しずつエネルギーを消耗していきます。感じないようにするために、ずっと力を使い続けているから。それが「理由のわからない疲れ」として出てくることがあるんです。
気持ちを後回しにしていると、体がサインを出し始める
理由のないイライラが増えてきた、急に誰とも話したくなくなる、「もういいや」って投げやりな気持ちになる——こういうサインが出てきたとき、それは感情の限界サインかもしれません。
気持ちに蓋をしている状態が続くと、体や気分の反応として表れてくることがあります。「なぜこんなにイライラするんだろう」と悩む前に、「最近、自分の気持ちをちゃんと感じていたかな」と振り返ってみてほしいのです 💭
なぜ「気持ち」が後回しになってしまうのか
感じる前に打ち消してしまうクセ
「これを言ったら、相手はどう思うだろう」 「こんなこと思うのはわがままかな」
自分の気持ちが浮かんだ瞬間に、こういった思考が先に走ってしまう。そうすると、自分の感覚に意識が向かないまま、その気持ちはどこかに消えてしまいます。
これは「気持ちがない」わけじゃないんです。感じる前に、無意識に打ち消してしまっているだけ。それが習慣になると、だんだん「自分がどう思っているのか」自体がわからなくなってきます。
「わがままになっちゃいけない」という刷り込み
自分の気持ちを優先することは「わがまま」だ——こういう価値観、なんとなく心のどこかにあったりしませんか。
子どもの頃に「我慢することがえらい」と言われて育ったり、自分の気持ちを伝えたら困った顔をされた経験があったりすると、心の中に「感情を主張してはいけない」というルールが刻まれていきます。それは決して本人のせいではないのに、大人になっても続いていくことが多い。
日本の文化と、自分を優先することへの罪悪感
少し社会的な視点でも考えてみると——日本では「謙遜」「遠慮」「空気を読む」ことが美徳とされてきた文化があります。それ自体はとても豊かな文化だと思うんですが、行き過ぎると「自分の気持ちを表明すること=空気を乱すこと」という感覚になってしまう。
「私が休んだら職場に迷惑がかかる」「自分だけ楽しんでいいのかな」——そういう罪悪感が、気持ちを後回しにするクセを育てていくのかもしれません。
気持ちを後回しにしがちな人に多いパターン
「これくらいで…」と相手の反応を先読みしてしまう
「これくらいのことで相談するなんて、大げさかな」 「こんなこと言っても、どうせ伝わらないし」
そう思って、気持ちを飲み込んでしまう。 こういう「先読み」は、相手への配慮のつもりでやっているんだけれど、実は自分の気持ちへのアクセスを塞いでしまっています。
人の相談には乗れるのに、自分の話は苦手
「友達の悩みはいくらでも聞けるのに、自分の話をするのは苦手」という人、けっこう多いと思います。聞く側が自然で、話す側になると途端に「迷惑じゃないかな」「重いかな」と心配になってしまう。
これは、ずっと「与える側」でいることが自分のデフォルトになっているから。受け取ることへの慣れが少ない状態なんです。
好きなものを選ぶとき、なぜか後ずさりしてしまう
「どれにする?」と聞かれると、本当は食べたいものがあるのに「なんでもいいです」と言ってしまう。
小さな日常の場面で「自分の好き」を主張することへの抵抗感。これも、気持ちを後回しにしてきたクセのひとつです 🌸
「気持ちを後回しにしない」って、わがままじゃない
自分の気持ちを感じることと、すぐ行動することは違う
自分の気持ちを大切にすること=すべてを主張すること、ではありません。 まず「あ、今自分はこう感じているんだな」と気づく、それだけでいい。
感じることと、それをどう扱うかは別のことです。感じた上で「今は言わない」という選択もある。でも、感じることすらやめてしまうと、どこかで心のバランスが崩れていく。
「自分の気持ちを大切にすること」は、決して利己的なことじゃない。むしろ、そうすることで他の人と穏やかに関わっていける力が育っていくんだと思います。
ことねはずっと、「大丈夫」と言い続けていた
少し個人的な話をすると、私もずっと「大丈夫」を言い続けていた時期があります。疲れていても、嫌だと思っていても、なんとなく「大丈夫」で済ませてしまっていた。
そのうち、何を大丈夫じゃないと思っているのかすら、よくわからなくなってきて。 「自分って何が好きだったっけ」「何が嫌だったっけ」って、ぼんやりするような感覚が続いていました。
それに気づいたのは、ちょっとしたきっかけで「自分の気持ち」に意識を向ける練習を始めたときのことです。最初はすごく不思議な感じがしたけど、少しずつ「あ、これが自分の気持ちか」とわかるようになってきました。
今日からできる、小さなヒント
1日1回、「今の自分の気持ち」に名前をつけてみる
難しいことじゃなくて大丈夫です。 夜、寝る前に「今日の自分はどうだったかな」と一瞬立ち止まって、気持ちに名前をつけてみる。
「なんとなくしんどかった」「少し嬉しかった」「ちょっとモヤモヤした」——こんな言葉で十分。気持ちを特定することで、自分の感情への「アクセス」が少しずつ開いていきます。
「好き・嫌い」を口に出す練習から
「これ美味しい」「この曲いいな」「今日ちょっと疲れた」——小さな感想を、声に出してみる。
一人でいるときにつぶやくだけでもOK。自分の感覚を言葉にする練習をすることで、気持ちを後回しにしない筋肉が少しずつついていきます。気持ちは、言葉にすると実在するものになっていくから 🌿
あなたの気持ちは、後回しにしなくていい
気持ちを後回しにしてきた人は、たぶんとても優しい人だと思います。相手のことを考えすぎるほど考えて、自分の感覚はそっと端っこに置いてきた。
でもその気持ちは、ちゃんとそこにあります。言葉にできなくても、ぼんやりしていても、ちゃんと存在しています。
まずは「感じていいんだよ」と、自分自身に言ってあげるところから始めてみませんか。誰かにすぐ話さなくていい。行動しなくていい。ただ、気持ちをそこに在らせてあげるだけでいい。
それだけで、何かが少し変わり始めるかもしれません。
次回は「ちゃんと休めているはずなのに、なぜかまだ疲れている」という感覚について書こうと思います。


コメント